孤独たれ

昨年、出張と重なって出席できなかった、名工大社会人大学院コースの合宿勉強会に参加させて頂いた。一緒に検討させて頂いたグループの、普通の大学院生の元気の良さに感動した。分野が違うので性格の違いということもあるのだろうが、小生もムキになって参加できたのは、間違いなく彼らのお陰である。とてもフレッシュな気持ちになり、感謝している。どうも有難う。

この合宿は産業戦略工学専攻が出来た当初から実施されてきていて、様々な気付きと想いを抱かせてくれる稀有な学びの場であると感じている。歳を重ねて幾星霜では無いが、続けることの意味は極めて大きいのだと実感した次第。教員も含めて40名を超える人々が一堂に会して学び合う姿勢は、真剣に参加する者には何かをもたらすであろう。

この「真剣に」というのが難しく、今を乗り越えようでは何も変わらず、こんなふうに社会に関わらせて頂くためにこうなりたいから、そこを目指すために自分が不足と思うところを足していこうというための意識でなければならない。今を乗り越えるのは当たり前だ。時が勝手にゴールを示す。

例の如く、一人で先乗りして、広重美術館を堪能し、古い町並みをのんびりと散策しながら脳の洗濯をさせて頂いた。日常とは異なる時を得るのであれば、その効能を最大化させるしかけを自らに課すべきであるが、小生の見たところ、そんな学生は皆無であったことは残念でならない。一人で自らを見つめ直す。電脳世代の諸君に必要なのは、その孤独力であろう。それもまた実感できた合宿であった。