家事ロボットを漫画にしたのは流石の手塚先生である。ロビタは何も最初から家事ロボット言うわけでは無かったが、成る程、人間の脳の知識情報を全て機械に閉じ込めようとすると未来においてもこれだけのサイズになっちゃうだろなと、妙に納得した。
ロボットでありながら人間である。「こうして欲しい」とロボットに語っても「しかしですね」と反論してくる。これがロボットとは違うところなのだが、今ではAIが普通にやってきそうだ。そうなってくると人間とAIとの境界線がどんどんと薄れていきそうな、そんな気になってくる。
学生の頃に貪るように読んだ火の鳥だが、もう一度読んでみたい漫画は何だと言われると恐らく火の鳥と言うのだと思う。素晴らしい作品だと感じる。こんな時代があったのだろうと妙に納得もする。結局のところ、人は何処からきて何処にいくのか。永遠のテーマである。
命には限りがある。限りがあるからその限界という境界点まで突っ走れるのだと思う。だらだらの人生など不要である。今日も一日を過ごしてみようではないか。そんな朝である。