物語力

物語力ということなのだろう。ハッピーエンドからストーリーを組み立てる。研究論文は正にそれでありまして、だらだらと行った実験を話し続ける愚。ハラハラドキドキは映画だけで良くて、報告においては結論を言ってもらって、そこへの筋道を示して頂ければ良い。その際に重要なのが物語である。

聞き手の感性を刺激して、言ったこと以上に感動して頂く。それが物語力の真骨頂である。最近の政治家殿には全く無いのが残念で、これが国民の政治離れに繋がっているのだろうと思う。飾る必要は無い。真理を見出せとまで言わない。真実が何を換えてくれるのか、それを語れば良いのだ。

ガバナンスだとかステークホルダなど、横文字が踊りまくる。レジリエンスなどに至っては、日本語知らないのかと言いたくなる。一言でいえばといえばと仰るが、比喩力も無いのですね。結局のところ負の感情が創り出す場を堂々巡りする。出口が無い論争が得意な人に物語など求めるべくもない。

企画力が無いとかなんだとか、ビジネス書には文字が躍るが、説得の無いところに共感は無いし、刺激も頂けない。潜在的欲求を引き出してくれることなど期待できない。そんな人とお話をさせて頂く時間は残っていない。人生あとわずか。大切に過ごさねばと思うが、結局のところやっぱり自らの挫折しか成長の糧は無い。そんなものなのだと達観する。

花向け

花向けの言葉という事でもないのだが、研究室を卒業する諸君に一言述べさせて頂いた。オンラインゼミでの掛け声であるのだが、これも新しい在り方である。組織の改革ではなく意識の改革の時代である。学ぶ場、コミュニケーションの場を奪ったのはけしからんと大学を一方的に攻め立てる世間である。この世間というのは正しいのかと思った次第。

SNSで噂が立ってとんでもない方向に進んでいくのは、世界にあまたあるわけだ。勿論、その結果、留飲を下げたという事も多い。一方で、作られた世論が暴走していくこともある。その時、例えば、政府よりもマスコミにあおられた一部の世論が強くなるわけだ。何故強くなれるか。発言に『責任が一切無い』からだ。これは正しいのか。一方的な言葉の暴力では無いのか。

マスコミも煽ることに責任など取らないから、被害者が生産されて、それをもって話が収束していく。その繰り返しでは無いか。少なくとも研究室の卒業生への花向けであるから、小生の人生哲学を述べることになるのだが、これとて、高々数十年の経験の積分値から得た教訓であって、これからの時代の正解では無いから、適当な世論と同じでは無いかと、そんな言い方も出来るし、マスコミもそうだそうだと煽るであろう。

ただ、実際の経験があるのだ。数限りない体験から得た教訓は、伝えても良いのだと思う。数学的に美しい回答があるわけでは無い。しかし、歯の食いしばりと血の滲みから到達した信念、理念である。真理では無いが哲学である。それを語って何が悪いか!と叫んでみても仕方がない。大したことでは無い。ただ、ここまでこの世界で生きてこられたということだけだ。これから頑張って頂きたい。それだけのことだ。

ものづくり

コロナ禍のお話はもうやめようかなと思ってはいたのですが、やっぱり何かしら出てきてしまいます。3月になって愛知県で緊急事態宣言が解除されたなんてことは、もう人心に届いていないのではなかろうか?そりゃぁ、のれんをくぐったのはいつだったっけなってなもんで、もう行かないのではなぁんて思ったりもする。まぁ、それはどうでもよろしくて、海外からのお買い物が全く届かないというお話。

昨年のクリスマスまでに届いているはずであったものが一向に届かない。遅れていると連絡をしてくれる奇特なショップは良いのですが、まぁ、もう、諦めようかななんて思ったりするところもあったりして。本当に欲しいと思っているから注文をしているわけで、遅れようが手元に届いてくれさえすれば良いのですよ。部品が集まらず製造が滞っているらしいが、まぁ、それはそうでしょうね。デジタル化されていなくて、現場作業が入らざるを得ないものは、ちょうど端境期なのでしょう。想い出にはなりますな。

国産に回帰するかってことなのですが、そりゃぁ、琴線に触れるような商品が提案されれば「クリック」するかもしれないけど、百万年前の企画商品ではね、気持ちはピクリとも動かない。つまらないことこの上ない。古本を漁っては読み耽るという健全な状況が続いていて、活字に溺れたい気持ちだけは満たされていますな。

既に3月の声が聞こえてきた。つまらない正月から既に丸2ヶ月が過ぎた。どれだけの回数のWeb会議があっただろう。出張していたのでは不可能な数の会議に参加していることは確かだ。精神的疲労は凄まじいが、肉体的にはそれ程でもない。これで良いのだ、多分。時間の巻き戻しだけはごめんだね。ものづくりのリズムもアフターコロナに為っていくだろう。ますます、琴線に触れないものづくりのあり方にしがみつく企業は消えていくんでしょうね。仕方がない、意識を入れ替えないといけない。本来は変わっていなければならなかったのにね。それだけだろう。