大嵐

小生の職場においては投票済証を提出しないとお仕置きだという愚かな義務は課されていない。投票は国民の権利であってそれを行使することは当然の事だし、槍が降ろうが何だろうが、天下国家に意思表示はしておきたいと思っている。1億2千万分の1の効力でしかないが、それでも1票あることは有難いことだ。自らが国民として何を考えているのか、それを問い直すマイルストンともなる。職場によっては投票済証を提出しないといけないなどと不埒な要求があるらしいが、言語道断である。

名古屋市においてどの投票所にもあるのかどうかは知らないが、指定されている投票所に行くと、出口の付近にずらっと並んでいる。ご丁寧に絵柄を表にしてきちっと並べてあって、絵柄が違うものがあるのかと思いきや、全部同じなのだ。どうも束で置いておくと、どかっと持っていく者が居るらしいと毎日新聞は語っている。何のためにと思ったら、投票済証を提示すると、ラーメンの替え玉が無料になるなどのサービスを実施する自治体があるらしい。魂消た。そこまで愚かな国家であったかと嘆く気持ちすら失せる。

昨日は時が経つと風雨が激しくなりそうであったから7時過ぎに徒歩3分のところにある投票場に向かった。狭い投票所に公金で雇用された方々が群れを成し、次から次へと注文してくる。注文の多い料理店だって、これ程に無駄な要求をしないだろう。選挙権を有する者に送られてくるハガキを提出するということは、誰が投票したのかを管理するのかと思うが、まぁ、そこまで馬鹿なことをするまい。
入口付近で渡される細っこいわら半紙のなんと頼りない事かといつも思うのだが、名簿に割り印をされ、投票用紙と交換を受ける仕組みには、そこまで面倒なことをしないといけないのかなと、永遠に電子投票などにはならないのだろうなと、進化の止まった我が国の選挙の仕組みを歯がゆく思う。

主張の微々たる違いで党派が分かれ、且つ、一つの党においても主義が異なって派閥を作っているような、今だけを乗り切ろうとする政治家諸氏が居並ぶわけだから、選ぶ国民にとっては国のビジョンや方向性などを見極めて一票を投じるなど困難を極める。それでもなんらかの論点を読み解いて一票を投じるわけだ。立会人に「それはこっちだ」などと居丈高に怒鳴られて、なんと浅ましいことかと情けなくなった。結局のところみんな戦争が大好きで消費税もどかんと払う方向を選ぶ。若者も教育無償化に引っ張られるのだろうが、借金がその分嵩んでいずれ自分達に付けが回ってくるなどとは考えない刹那的な生き方。一票の格差が2倍に収まれば憲法違反では無いなどと、民主主義国家には永遠に成り得ないのだろうなと寂しさを感じつつ、それでもやっぱり投票には行ってみた私であります。