あなたの趣味はと尋ねられたら、5億年くらい語り続けるかもしれない。恐らく、先祖代々を遥かに超えて、128億年前に生まれた宇宙を越えて受け継がれたのではないかというくらい、熱中するものはある。真逆に、何にも無いという者も多いようだ。楽しみも無ければ、大学卒業後にどんな仕事をさせて頂いているかもイメージ出来ない大学4年生とは何事だと思う。自らの想いがどうなっているかは別問題として、誰かのために頑張っているんだってイメージくらい、抱いていても罰は当たらない。
久しぶりの晴れ間を仰いだが、昨日の戯言を神様がご覧になられたかどうかは知らないが、やはり晴れは良い。地球は丸いのだなと感じる。あぁでもない、こうでもない、無駄にシナプスが繋がったり離れたり。人間はこれから何処に行くのだろうかと、南極以外、陸地にはすべからく人間が住んでいるというのに、やはり発祥のアフリカを思い出す。何を馬鹿をと仰るだろうが、一人、サバンナを歩いていた記憶がある。灼熱の太陽に体を焼かれながら、とぼとぼと歩いていた記憶がある。貴方にもあるだろう?
二足歩行を始めてからたったの700万年だ。つい、昨日の気がする。現代は車輪を通じて地球に対して加速度を得ているが、人類は自らの肉体をもって地球と対峙するべきなのだと思う。数が増えすぎて誰かがリーダーとなっているが、宇宙が作った遺伝子とはなんなのか?偶然の産物にしては物事が整っている。整い過ぎている。エントロピーは増大する筈なのだが、減少方向に向かってはいないか?
なぁんて、それこそどうでも良いことをつらつらと考えてしまう。これこそが秋空であるべきだ。何があっても変わらない天空の青さと日本の政治。明治維新に立ち合いたかったわけではないが、為政者が趣味でもろもろいじくりまわすものだから、国民はひたすらあくせく歩き回る。歩き回っても当たる棒が無い。それが日本である。だからこそ、当たる棒を作らねばならぬ。こんな駄文こそ戯言だ。明後日、山に行けるのか?なんだか不安だが、それはそれで良いのかもと、週末の台風に、またきたかと、いよいよ海水温が限界を越えたのかと、それでも現生人類は生きていかねばならぬ。地球上、どこに行っても真夏の大地で、生命の95%が絶滅した2億5千万年前のメタンハイドレートが噴出した時代に近づいている。愚かな人類はそこまでいくのかと、久しぶりに太陽を仰ぎ見て感謝を越えて恐れを抱いた私であります。