巨大マーケット

名古屋に次々に現れる巨大マーケット。行ってみて思う、何処も似たようなものだなと。何が似ているかと言えば買いたいと思うものが無い。そう、何も欲しくならない。今の身の回りの物品で全てが満たされているということだ。駐車場に溢れているのは車であって、結局のところ、生活を維持できる、普通の製品というものが自動車しかないという恐ろしさだ。

臨時駐車場に停めて砂利道を進み、所謂裏口から入ってみると食堂街。知られた店舗名に長蛇の行列。日本人ってこんなに金持っているのかというちょっとびっくり。この他の食料品店舗に並ぶ人達。まぁ、食に関しては小生もその昔はいろいろと食べ歩き・?み歩きをしたわけだから、良いといえばそうですけどね。料理人殿達の技術の結晶に触れるのは楽しいものです。

雑貨や衣料品は何処を見ても何が違うのか。デザインはもちろん違うけれど、何処で誰が作っているのやら?地元のマーケットでも十分なものが手に入るので、何も好んで買うことはない。結局、ぐるぐると巡って何も購入しないで終わってしまった。年齢的なものもあると思いますけどね。年齢層によっては単に疲れるだけの巨大マーケットだなと感じるわけです。

巨大マーケットに何を求めるのか、そしてそのマーケットは何を喚起させようとしているのか。1980年代から様々な場所に巨大マーケットが出現し、船橋のそれは相当に初期のものであったわけですが、「大きいことはいいことだ」の号令の下、重厚長大なものを造っては捨てるを繰り返した挙句、本当に必要なものってなんなのだろうということを考えることもなく突き進んだ結果なのだろうなと、マーケットを歩いて感じる今日この頃。はてさて、世の中何処に向かいますかな?悩むのも良いと思う週の初めてであります。