AIがやってきて失われる職業に教師が入っている。するとなぁんにもやることが無くなるので、何か買い物をしたくなるのかもしれない。しかしなぁんにもやることがないと収入も無いわけだから、やっぱり何も買えないのだろう。浮世から離れて生きるには一番良いかもしれない。役小角よろしく、自然界から食べられるものを見つけ、空を共にして生きるのだろう。生命の原点まっしぐらである。
物々交換の世では財産という概念は基本的には無く、食料を皆で分け命を支え合う美しい世の中であったわけだ。貨幣が生まれ貧富の差が出来て、醜い浮世が生まれてきた。面白いものだ。その世が進化してきて、年齢を重ねると何も欲しいものが無くなるという達観に至る。AIによれば、健康寿命を延ばすためには読書が一番ということなので、ひたすら図書館に出向き、片っ端から活字を脳内に流し込む。正に健康的だ。
学生時代、巨大なガマの油売り大学の図書館にて、それこそ片っ端から読みまくったのだが、戦前の本にすら、大先輩諸氏の書き込みがあり、それを探すのもとても楽しかった想い出がある。「真実であろうか?いや、そうではあるまい」などと万年筆を走らせた方はどんな人生を送られたのだろうかと、今は懐かしく思い出す。活字まみれになる以外、やることが無かった陸の孤島。
食料は必要であり、水も必要だ。トイレも必要だし真っ裸で歩くわけにはいかないから、衣服も必要だ。まぁ、そんなものなのだ。真に必要なものは。サバイバルならナイフ一本を追加すれば良いだろうが、都会のジャングルでそれはあまりにも物騒で不要である。ジャパネットがあろうとも、なぁんにも欲しいとは思えない。新しい車のディーラーが出来、洋服屋が回転して半額セールを展開しようが、店を覗く気にもならない。より良いものを作りたい。その気持ちにはあふれているが、作る当人が「モノ」を欲しがらない。面白いものだ。