教壇と言う名の断崖

教壇に立って想う。恐怖である。人より20cmも高いところに立たされて、口から出たことが正しいことが前提で、300もの目玉に見つめられ、こんな人生を歩むはずではなかったと心底後悔をしても始まらない。人生の後悔と、人生は航海だぁ・・なぁんてちょっと似ているかもしれないなと思ったりもする。漂流しつくして座礁するのがおちだが、粉砕沈没よりはましか。

小学校入学時の先生を忘れない。全くもって心に刻んでいる。石に刻むより、エジプトのモニュメントよりも明確に、心に刻み込んでいる。依怙贔屓で不公平、気に入らなければ徹底排除。名工大のビデオでいけば間違いなくハラスメントと言うやつだ。小学校1年生にハラスメントも何も無いと思うかもしれないが、小生が思う「先生像」はあの人なのだ。

好まなくてもなってしまった教員である。教壇に立たせて頂く以上、その準備は凄まじい。誰も知らない知られてはいけない予習時の小生の姿・・ローソクを鉢巻きに挟み込み五寸釘を教科書に打ち込む・・嘘八百だが、こんな事態になってしまった業を呪うのだ。自らの責任を問い詰める世代と、全てが貴方の責任だと訴える世代がクロスしているのだ。これこそ社会的ハラスメントではないか!

一年の終わりが近づくと、ふたご座流星群を山奥のテントから眺めるなんて情緒は許されず。まぁ、許す許されるなんてことは暢気な世界で、地上で嫌がらせをしている方のなんと可愛く幼いことよ。どんなに隠しても明確に見える。それと知らずにいじめをし続ける人が態度大きくなり続けるのだから恐ろしい。自らの無能を認知出来ない方に言いたい。刮目せよ。努力とは自らの小ささを知ることである。まぁ、無理かな?鉄槌は下されるだろう。