入試

大学の入試が猫の目の様に変わっていく。判断力云々が取りざたされるのだが、普通の人間生活を送っていればそんなものは自然に身に付くものだと思っているのだがそれは違うのだろうか。電車にだってバスにだって普通に乗っているぞ。判断力云々だけが問題ではないのだが、何をどのように伝え育てるかが本質であって、小学生が学校を休んで中学受験に励んでいる現状は本当に正しいのか?

考え方は様々ではあるが、頭でっかちで実践力が全くない人間が溢れかえりそう。考える課題を与えられそれにどの様に返答すれば良いのかを訓練し続けるのだ。危機的状況とて作り出されそこで訓練を受け続けていくと、その訓練以外の圧倒的理不尽な圧力を受けると、何も対応できない状況に陥る人が殆どだそうだ。

そんな人種を作り上げているとしか思えないのだ。同様に、綺麗さっぱりな実験装置でボタンを押すだけで育ったエンジニアは、想定外の結果に全く対応できないと、多くの企業様から苦情を頂いてしまっている。最もそれは大学だけの責任では無かろう。研究所であってもお作法ばっかりでオリジナルのアイデアを排除してきた我が国のお作法文化にも責任があるのだと考える。

結局のところ思考力とそれを許す環境が重要なのであって、判断力など、環境次第でどうとでもなると思っている。この思考力こそ筋道に慣れてしまった結果に失われるものであろう。思考したら試験に落ちるような仕掛けを延々と続けるのだ。自分で考えろと言っても無理であろう。嘆かわしい時代であるが、そんな国になってしまっていることは否めないだろうなと苦笑いする私であります。