1700万年

豊川は中央構造線の内帯と外帯とを分ける中央構造線を刻んでいる。正確にはその近くを流れているということなのだが、当初は破砕している外帯を刻んでいたのだろうが、度重なる地殻変動で現状になったのだろう。豊川を挟んで聳える本宮山は大陸から別れた地層で、吉祥山は太平洋の沈殿物の付加体である。1700万年前には津具のあたりまで海だったし、1500万年前にはその中流域には巨大な火山が活発に活動し、後に巨大なカルデラ噴火を起こし、その跡が風雨で削られ今の奥三河から豊川周辺の地形を作った。

国府というところがあり、三河國国分寺があったところだ。聖武天皇の時代には三河の中心地だったということだ。そこに何故人口集積地が存在したのかというところに面白さを感じる。縄文海進の時代、豊川の中流域あまで海であり、人口集積地は設楽のあたりであった。河口には土砂が堆積し、海が後退すると肥沃な土地が現れ、河口の淡水が得られる山際の平坦地に移住するのは日本各地に見られる。恐らく三河國国分寺辺りはそんな移住者のたまり場だったのであろう。

山に登らなくなって数年が経過したが、三河の土壌を考えるのはとても楽しい。実際のところ、豊川を遡っていくと実に風光明媚である。愛知県の宝だと心底思っている。出かけないのは勿体ないのではと、時間が許せばふらっと飯田線の旅を楽しみたいものだ。今では新幹線の車窓から数秒間眺めるだけの山々だが、火山の名残の温泉も沢山あって実に愉快である。

JRでも名鉄でも行けるのだが、名鉄の特急でぶっ飛んでいくのが好みである。そりゃぁ新幹線で豊橋まで一気が楽だが、本数が少ないのが問題である。車窓の風景も悪くない。旧東海道沿いの松並木なども垣間見え、趣のある旅である。小生の場合は勿論お仕事での移動なのだが、1500万年の歴史を想いながらの車窓は格別である。