成し遂げたい何かを持ってずっと頑張っていると、ひょっとするとその何かに出会えるかもしれない。あくまでも「かもしれない」というところがやや残念ではあるのだが、まぁ、そう、何でもかんでも思い通りになるわけがない。それで充分である。ひたすらこつこつと実践あるのみである。
ずっと考え事をし続けると、思いもよらなかったことを「ふっ」っと思いつくのだ。これが脳の面白さだと思っている。脈絡もなく、突然にだ。しかしそれは何かの折に見ていたものかもしれない。それが突然、異なる事象に紐づけされて新規の記憶となって表出するのかもしれない。だからこそ、闇雲に勉強することが必要なのだ。必要だから学ぶのではない。学ぶから必要な時に役に立つ実践力を生むのだ。
情報がネットという人類分の情報のたまり場に吸い上げられている。好き嫌いにかかわらず、無意識の行動が情報となってその世界に集積されていく。それが価値となっていくわけだが、ネット上の価値は、加工されなければ二次的価値に繋がらない。他人が有効活用し、税金を生み出すために自分の価値があると気が付くべきだ。
自分さえ良ければ幸せという、狭義の幸福感は意味を持たない。しかし、太古からその思想に蝕まれ、他人の不幸を祝福する愚かもがなんと多い事か。アンチ他人、愚劣極まりない思想である。誰しもが生まれ持つ自らの価値を放棄して、他人を羨むだけの道には進みたくない。そう思う。