縄文

生きている空間に怖れを抱く文化は、遺跡から発掘される遺物から明らかである。体毛が鵜しわわれた頃から既に化粧を行い祭りを行っていたことが喜望峰に残る遺跡から認められている。石の文化故に遺跡となって何万年もの時を超えて現代に繋がっているから有難い。言葉を巧みに使い、食料を分かち合ったホモサピエンスが人類の歴史の覇者となったわけだが、それはいつまで続くのだろうか。

自然環境を破壊し続け、化石燃料を使い続け、大気も水も汚しまくっている現状である。我が国においては自然と共生し、繁栄を極めた三内丸山の縄文の諸先輩であったが、寒冷化という地球の営みによってその地を離れることになった。その遺跡から見いだせる神への畏怖は今の社会に伝わっているとは感じられない。

そんな中で豚コレラの大流行などが、これまた自然の中で流行している。あっちでもこっちでも、一頭の猪の行動結果とは考えられない範囲で発生している。このままでは国内の畜産業は滅んでしまうのではないかと感じている。これまた毎年の如く発生する鳥インフルエンザとて、その原因が究明されたことなど無いではないか。豚コレラも未解決のまま終わってしまうのではなかろうか。

残さず食べるよりも前に、必要なだけ作るということなのだろう。チョコレートという嗜好品すら、某日の後に山積みされて、あれは一体、どうなるのだろうかと不安になってしまう。パッケージには豊かな装飾が施され、凄まじいエネルギーが無駄に捨てられる。それが繰り返される地球はどうなるのだろうか。