ルールがある。社会の中で意識して守らねばならない。間違ったルールかもしれないのだが、人々の社会活動の中で生まれ出るものであるから、時代の変化の中で見直しつつも、従わねばならない。個人同士で済むものもあれば、ルールにのっとって社会的な活動として発展させなければならないというお互いの認識が、争いを最小限にすると思う。
東京で見かけた木の風呂桶屋さんで、木の文化はきっと正しかったのだろうと思い起こした。小生が子供の頃は、まだ釜か木の桶だったのだ。今、そんなものを使うのは旅館等のみだろうが、役目を終えれば朽ちて自然に戻る。微生物も大活躍してくれて、それは人間と共存の関係だ。知能の塊の粘菌から学んでいる現状を知る人がどれだけ居るのか?
何も無理やり木に回帰するべきだなどとは思わない。人口が爆発した今、それは及ばぬ事である。木の文化だった江戸時代から爆発した人口で、木材を使い始めたら禿山の国になったのは戦後が証明しているわけで、無理を無茶として挑戦してはならないことであろう。豚コレラだって地球が生み出したものであって、人類に都合が悪いから敵視しているだけであって、損得勘定に巻き込まれているだけである。
自然に損得は無い、得失は人の心の中にしか無いものだ。皆、「得」を手に入れたいと躍起になるが、足元が壊れ始めていることを忘れてはならない。爆発し続ける人口増大だが、小生が生きている間はそれは続くのだろう。戦争で焼けていない街角は様々な知恵が人にあったことを教えてくれる。もっともっと街に出たい。それを実行し続けたいと地図を眺めて喜んでいる私であります。