音声合成入力ソフトが市販されたのはいつ頃であったろうか。もう忘却の彼方であるが、今は当たり前の技術であっても、その当時はこのまま日常的に機械と言葉でやり取りするのが当たり前になっていくのだなと思ってしまった。ファミリーユース以上には広まっていかないところをみると、まだまだなかなかにして難しいことがあるのだろう。
電電公社の武蔵野通研だったような、かすかな記憶で関係者の方々から「違うぞ」とお叱りを受けそうだが、まぁ、お許しを。「俺ら東京さ行ぐだ」と吉幾三さんが叫びはじめて、2級上のT先輩がCDを借りて来て、研究室で聞いていたから1984年末の出来事であったと思う。育てる人工知能という、何しろフロッピーディスクベースのシステムだから、覚える言語は、まぁ、それなりだし、何しろ、PC搭載のメモリーが少なく、いちいちフロッピーディスク(死語)に書き込みに行くわけだから育つ前に止めてしまった。
同様のツールがその手の雑誌についてきて、こちらは人工無能という開き直り的ツールであったか、こちらは更に使用時間は短かった。ネットで調べてみたら1966年から研究が始まっていたそうで、人工知能へのなんというか、必然性というか、その分野の方々にとっては当たり前のターゲットだったのでしょう。その頃の小生ときたらSiのイオン注入欠陥をどうやって無くすかという、原子の繋がりを電子で治すみたいな、極微の世界で喜んでいた時代。
記憶・記録に掛かる部材が機械的構造から解き放たれない限り人工知能は実現するまいと漠然と思っていたのだが、時は35年も進んで、今、それが実現するようになって、それこそ当たり前のように進化し続けている。ちょこっと昔を懐かしみながら、今週はエレクトロニクスの小型化と社会の変化と功罪について無駄話をしてみようと思う。