文明開化はゴミ創りか?

先日、今年の幸福度の世界比較がマスコミを賑わせて、既に忘れ去られているわけだが、世界で58位だそうだ。幸福かどうかなどというのは一人一人の感じ方であろうから、国全体が幸福かどうかなどはほっといて頂戴と言いたいのだが、マスコミ的には面白いお話なのでしょう。健康寿命の項目では2位だったのだが、人生の選択の自由度が64位、寛容さが92位と言う事で総合成績として58位だ。ゴミの量なんてのがあったらどうなったんでしょうかね?

じゃんじゃん作って燃やすのだから、廃棄物発電施設の利用率はとても高くて、65%を平均で超えているとのこと。日本中の地面すらゴミにし続ける太陽電池は15%、風力ですら25%(24時間に対して)であるから、再生可能エネルギーに比べれば施設効率は良いということなんでしょうね。しかしながらゴミを作って燃やすという、なんだか、発電のためにゴミを創造しているのかと嫌になる。

コストという観点で言うと、廃棄物発電のコストは大略17円/kWh以下で、火力の30円/kWhに比べれば随分と安いが、天然ガス発電の14円/kWhに比べると高くつく。ゴミ発電には、焼却灰の処理コストも加わるから、単純に施設活用だけのコストでは済まないが、これは石炭火力では同様のことだ。ゴミを捨てて燃やすのだからゼロ円だろうなんて考えてはいけない。

マイボトル、買い物袋の活用等、ゴミを削減する努力は可能であって、それは積極的に成されるべきなのだが、駅のコンビニで「それから」と「サラダしたらば」を買うのにマイバッグを使ったことが無い小生に何も言う資格は無いけれど、突き詰めていくとそういう事なんでしょうね。ヨーロッパでは買い物袋は紙になっているし、土にかえるものを活用するようになっている。江戸時代まではそれが出来ていたのに、文明開化という謎の掛け声でゴミ大国になった我が国は、チーム地球に組み入れられる資格がある国か?と首をかしげてしまう。