例によって理想論を並べてみたのだが、理想から入らないと話は始まらない。会議の紙の資料などはそれこそゴミの始まりであって、デスクの上のスペース破壊者そのものである。緻密に並べられた文字列を精緻に読み取るには余りにも多すぎる情報量であり、既にそれはゴミである。勿論、この「戯言」は偉大なるゴミであることは承知の上なのだが、まぁ、お許しくださいというところだ。少なくともペン立ての中で数年間も働いていないノベルティボールペンよりはましな存在だと己惚れている。
シェアして使うことがオフィスなどではゴミ削減の一歩だと認識している。定規などは各自の目の前にある方が作業効率が高くなるからそのほうが良い。一方、滅多に使わないというようなものは「のり」などは共有で良いと勝手に思っていて、迷惑を省みずその都度「貸してください」とお願いしている。そんなところから一つ一つ減らしていくことが重要である。その意識を持つことが大切である。
核家族化によって一人一人が独自の活動を家と呼ばれる空間をシェアしている人同士が「パック」された食材を独自に活用している社会においては、過去に中に何かが入っていた「パック」のゴミの削減はかなり困難な気がする。そしてそれらの一定量が巷に投げ出され、そしてマイクロプラスチックになっていく。ゴミ製造のゼロ化が最早無理なのであれば、少なくとも街にゴミが溢れている現状は無くならないのか?
学会誌などは電子化の方向で検討されているが、ビニール袋に入って送られてくる紙という資源のなんと多い事か。折角の電子化社会ではあるものの、まだまだ画面でじっくり書類に目を通すという文化が浸透しきっていない。恐らく小生の年齢よりも上の方々の責任であろう。やはり人の頭の中の問題ということになるのだろう。生活様式を転換させる。いずれ廃棄するものを作らない。それを実現するものづくりこそエンジニアが思考し続けるべきである。それに注力したい。