見せない工学

目に見えないけれどデータが示すという事であれば、自動車の故意の整備無視というのが流行っていて、その流行が止むことなく続いている状況こそ、日本の病巣と感じますな。ブレーキの整備がいい加減な状況で出荷されていることなど、購入者には見えませんからね。これはとても怖い事であります。

利益を追求するのが企業の本質ではありますが、企業の組織としての活動には社会に対する影響責任というのがありますな。持続可能な社会をステークホルダーと共に築いていく責任がある。信頼を超えて信用される立場、即ち、無意識の安心を約束しているべきなのに、その見えなくても良い安心が、実は無かったとしたら社会への負の影響は余りにも大きい。

ネットのお陰か、ものづくりのインチキが世界中にあることが伝わってきて、ものづくり研究者として辟易するわけです。目に見える必要はないのに、見せないといけないのかと。倫理教育などが大声で叫ばれるのも、結局は、見えなくても良い倫理観を、見せないとお互いが信頼しあえないという、生命としての不連続状態に来たのかなと、全球凍結しなくても種が滅ぶのではと思ってしまうのです。

天が与えてくれた自然現象を、人が暮らしに取り込み便利を感じ取ることを可能にする思考が工学の筈ですが、そこにはインチキが無いということが前提であって、車軸が折れるような自動車を企業が売っているとなったらどうでしょう。経済活動などむっちゃくちゃですな。その時、人はどんな行動にでるのやら。