10分を後悔するのは

新幹線を乗り継いでいくと、日本列島を縦断できるわけで、気楽な長距離移動が可能な時代になっているわけです。遠距離だなと思っても、新幹線と言うツールは点と点をあっという間に繋いでくれる。新幹線から降りると、折角新幹線が稼いでくれた時間をロスする乗り物だらけだなと、我儘な自分に苦笑いだ。

旅行の楽しさと面倒くささがここにあって、休日の地下鉄などは10分に1本しか出なくて、乗り過ごしたら悲惨な事になる。10分のロスである。その間に何が出来るのかとか、つい、いらいらしてしまうわけだが、考えてみたら、移動と言う行為そのものが無駄の積分であって、その中の10分であると諦めれば良いのだ。

この10分という時間をどぶに捨てた事を後悔するくらい、日頃、きゅうきゅうと生きているのだなと、なんだか自分が哀れに思えてくるのです。10分くらい良いではないかと納得するのに2,30分掛かったりして、もうこうなると大馬鹿の一つ覚えである。

考えてみると、どっかに出かけなければならないとなった途端に、ネットで時刻表を検索し、地図で場所を確認し、乗り継ぎはどの経路でと、事前調査に相当時間を掛けるわけで、これそのものが既に移動時間に組み込まれていると認識するべきなんでしょう。旅はお気楽極楽が良いわけで、大型連休においては、ちょっとはお気楽極楽な精神状態を頂きたいと思っている。