命のバトンを受け渡す土台

その場で懸命に過ごす。道徳とか倫理とか、それは実は当たり前のものであって、自然と受け継いできている事実であると思っている。空気のようなものであって、人の経験を尊重し自らの活動も信じ、そこから議論が生まれる。その土台と言うか空間と言うか、その場にあるものこそ道徳や倫理と言うことであろう。

人として如何にあるべきかということだ。地球の上にあってそれを思い、そして実行しなければならない難しい時代である。しかしながら親が居て、その前にもそれぞれの親があり、命のリレーが行われてきて、たまたま、バトンが今、自分にあるだけだ。それを次世代に繋いでいくものだ。AIのシンギュラリティなどは関係のないことだ。

突然、湧いて出てきたわけではない。先祖がどんな期待を込めてくれているのか定かでは無いが、一つの命を大切にしないといけないのだ。数十億年の繋がりである。やはりそこには道徳や倫理があるのだと思っている。この10年で自動車による物理的移動速度がどれだけ速くなったか?なっていない現状であるのに、その産業こそが絶対だと信じ込むことは道徳とか倫理などに、運命共同体としての生命から見たら反すると思う。

自分の活動だけが正しいと、我儘を貫く方がいらっしゃる一方で、人が居て自分が居る、同じ命を共有していると自然に対する畏怖の念を持つ方もいらっしゃる。先の大戦で伝統的思考が抹殺されてはいるが、今一度、この島国を見つめ直して、背伸びをせずに日本の伝統ってなんだろうかと考えながら今日を生きては如何だろう。そんな毎日を過ごしたい。