研究の原点

和を以て貴しとなす。国際社会に晒された先祖が、それに処する為に生み出した約束事である。これ程美しい思想は無いだろうなと思うのだ。しかしながら、今、組織というものがお互いを潰し合い、強制された生存競争を走らされているなと感じる。

週の頭から多摩川を超えてお江戸に入ると、その目のギラギラ感と疲弊の色に驚かされる。名古屋駅に戻って降り立つと、衝突しないで歩ける状況に感動する。笑顔に出会い安堵する。これで良いのだと実感する。良い街ですよ、名古屋。

騙すより騙されてしまえという、なんか、独特の空気感を感じるのだ。食糧で仕事が出来、工業で自治が出来る。大きな河川が山からの栄養を大地に蓄え、肥沃な土壌の恵みを工業にまで活かしている。こんな土地はそうそう無い。長良川河口堰などのエゴの産物などで大地を汚す愚をやらかしたりもするが、命を繋いで行ける土壌であることは間違いなかろう。

今も、街角にお社を祀り、頭を下げる。小生とて同様である。そこに先祖の活動があり、共同体の中心を大切にする心がある。競争とは無縁の象徴である。その象徴を心に抱いて自分で考えて活動する。研究の原点もそこにあると思っている。だからこそ道徳や倫理というルールを守るべきである。しかし命のバトンと共にそれらを伝えていない世の中だと感じる。まずい気がする。