ここのところというか、しばしば発生する自動車の暴走。これなどは工業製品が人の命を大量に破壊する顕著な例であって、銃の乱射並みの犯罪である。いや、殺傷を目的としていない工業製品なのに、命の輪廻を断ち切る仕業が許される稀有な商品だなと思うのだ。
便利な道具である。いや、道具だから便利なのは当たり前なのだが、その持っているエネルギーの凄まじさが誤って解放された時の悲惨さは表現しきれるものではない。それが当たり前の出来事のように日々報道されるのだ。研究不正などはあの手この手で「取り締まれ!再発防止をせよ!」と釜茹で地獄を大学につきつけるのだが、人の列に自動車を突っ込ませても製造責任は問われない。
運転する人が悪いということになるのだが、自動車そのものが人に危害を加えることが出来る仕掛けの研究に、それこそ国や企業がお金を投じるべきだろう。儲けが2兆円を超えたと威張るの裏側には、尊い命が殺傷されているということがあるのだ。ボルボ社などは年限を確約して進めている。日本では何故出来ないのか、やろうともしないのか。
儲け不正と叫ばれるべきだが、残念ながら我が国は自動車産業だけで成り立っているように思い込んでいる。既にサービス産業の儲けが対投資効果では製造業よりも遥かに大きくなっている。人を殺す工業を産業としてはならない。そこに我が国が世界のリーダーとなる道があるとは思うのだ。