集中力

気候変動も地殻変動も他人事では無いのだが、これまたちょこっと自分事の他人事?大学授業の100分化がじわじわと広がりを見せているとかやってみると分かるのだが、90分間教壇を行ったり来たりして、板書と拭き取りを繰り返すのってかなりの重労働だ。授業の前準備にも相当に時間が掛かるわけで、単に一回当たり10分増えるというだけだろうと言うのは、座って聞く側の論理だろう。

そもそも人間の集中力の限界って15分と言われているわけだ。トレーニング次第ではかなり伸びるかもしれないが、今の90分とて単に座って聞いているだけでは、とてもでは無いが集中しきれる時間では無いと感じている。キャッチボールをしながら話をしているわけだが、キャッチボールの相手は断続的集中領域に入り込むことが出来ると思うが、その他の皆さんは単に聞いているだけだ。階段教室の頂上付近の者などは、最初から黒板などは意識の彼方だ。

100分にすると文科省的な定めから逆算すると、15回の講義日数を14回に削減できる。そうなると、特に月曜日の講義などは祝日で潰れて、夏休みの集中講義対応みたいになることを避けられるのだそうだ。それは講義をする側からすると有難いが、される側からすると夕方遅くまで講義が食い込み遠方から来ている学生は、危険な夜道を歩かなければならない負の効果も大きくなる。社会人コースなどにおいては昼間の講義の後から開始が基本になってしまっているので、カリキュラムが組めない状況になるやもしれない。

教員の力量次第というところなのだが、自己研鑽しろと言っても、いっぱいいっぱいというのが現状だと感じる。8時間15分だけしか勤務してはいけない、自己研鑽時間は通勤時間に含まないとか、教育職ってなんなのだろうと思うわけだ。学生の意欲向上のために創意工夫をし、土日・夜間を潰してまで尽くしても労働じゃないよと跳ね返す。これが日本だ。