自由とは?

自由って何なんだろうと思えば、それは他の人を労働によって喜ばせたいと願い続けることが出来るという自由なんだろうなと考える。好き勝手に車を動かして、通学児童に突っ込んで行く我儘が許されるという自由ではない。と、思っているのは小生だけなのかもしれないが、個人や組織がやりたい放題ということが自由の象徴であってはあるまい。

基礎点が足りないから受けたい大学を受験できないとか、そんなことが学問の自由を妨げているとか、そんなことばかりをマスコミはえらそげに書き立てるが、基礎点を獲得する自由が与えられていたにも関わらず、努力をしないで機会を獲得したいという勝手と自由をすり替えて、頑張った者の汗を無視する嫌らしい世界だ。

汗は尊い。日夜努力して、その自由を獲得した者の、なんと清々しいことか。我儘をしたいから寄付をしろという者の、なんと嫌らしいことか。歯の食い縛りと血の滲みによってのみ自由は獲得できるのである。重要なことは「そこに自由がある」ということだ。学ぶことも働くことも、謂れもなく駄目だと突きつけられれば、そこには絶望しか残らないだろう。

耳が聞こえなくなっても歯を食いしばって作曲を続けたベートーヴェンを想う時、自らの置かれた境遇が、余りにも自由であることに恥じ入るばかりである。聴覚を失った者にですら、作曲という創造の自由が与えられているのだ。それを獲得し続けたのだ。もっと努力をせねば、もっと走らねばと情けなくなる。国会議員は言論で裁かれてはならない自由が与えられているという勝手な言動を許す国家であって欲しくない。