若者に自由の無い国

人が動いて、人と会う。これこそまさにあるべき姿と考えている。大学の講義などはネットの録画配信で良いということがまことしやかに伝わるわけだが、まぁ、一理ある。もしもその程度の人が教壇に立っているのであればという条件が入るわけですけどね。

学問の自由って素晴らしいと思うのですよ。自ら信じる宗教を学ぶということも同様で、政治的に取り締まられていない我が国は、これはやっぱり自由な国だなと、有難いと思うのですな。行動に反社会的な事を誘発するような学問や宗教は縛られて良いとは思うのだが、学び知識として身に着けるところまでは如何なる縛りもあってはいかんだろうと思う訳です。

行動に移すかどうかは倫理感であるから、これはこれで国家とした教育が為されねばならない。海外からネット電話で詐欺をするとかね。テクノロジーの誤った使い方であり、人の心という最も弱いところに付け込んでいくその浅ましさは強烈に国家から排除せねばならぬ。しかし、農産物が盗まれるとか、そんな汗を冒涜するニュースが後を絶たないのはどういうことか。

今、研究者の立場になろうとすると、企業ではほぼ海外に限られるし、国内の大学では職を得たとしても5年任期に縛られていたり、諸々の出来事に阻まれて図書館に籠ることも許されない現状だから、博士課程に進学しようなどとは思えない。働く自由が無い世界という事だ。だから新しい事など生まれない。当たり前の国に自らしている。それが日本だ。