音の言葉を聞く

場はあるけれど、ほっとんど行けないコンサートホール。つくば人時代にはそこそこ良いホールが近場にあって、しかも常に空いていて、次に来る時には無くなっているんじゃないのかと心配になるくらい。学生だったこともあり、学割で立派な世界的奏者の方々の音楽を楽しませて頂きましたよ。まぁ、時間があったということだと思うのです。そんな楽しみは時間が取れなくなってくると遠い世界になっていく。それを身近に実現させるのがオーディオ装置ということになるでしょう。

ヘッドフォンというステレオ空間が、一番簡単なオーディオ装置によって実現されるわけですが、これにおいても上等かそうでないかというものがあって、多くの方々はそれを知ることなく、平穏な世界にいらっしゃる。そこそこのコンサートホールでリアルな音楽空間を楽しんだことが無いと、そんなものなのだろうなと納得できるのでしょうけれど、目の前でフラメンコを見たりギターの音色を楽しんだことが一度でもあると、音楽による満足ということがとても遠いところにあることに気づいてしまうわけですな。

こうなってくると、それなりの装置を揃えないと楽しめないわけですよ、音を。これはそこそこ苦行でありまして、それなりの頑張りを見せないとバイオリンの胴鳴りなどは再生出来ないわけですな。もともと板に入っていなかったりするわけです。これなどは録音技師が楽器の美しい音色を楽しんだことが無いからでありまして、そんな板しか知らない人達は、それこそイヤホンで良いのですが、知った人はそうはいかない。

身近にあって作曲家の魂の叫びに触れるためのオーディオなわけですが、そのオーディオ装置となりますと、これはまともな音源とそれを再生する装置と、それを包み込む部屋との相互作用によって作られる空間そのものだと気が付くわけです。屋上のBBQ場との違いはこのあたりにあるわけでして、下手に手を出さずに、良いヘッドフォンを求めるくらいでとどめておくのが良いのかもと、永遠に終わらないオーディオ人生に苦笑いなのであります。