ラジオ力

最近はYouTubeによって多くの方々が情報を発信できるようになてきて、とても素晴らしい時代になったことだなぁと感じるわけです。大衆目掛けて持論を展開しようと思ったら、その昔はそれこそえらいこっちゃだったわけですよ。文化講演会で招待講演の機会を与えられるためには、それなりの年齢とそれなりの人脈が無いと無理だったわけですよ。それが老若問わず出来るようになってきた。若者の思想も聞けるようになり、これはとても楽しい事だと思うのです。

ただ、ビジュアルを伴ってしまうと、その情報のパワーはもの凄く、そこで展開される言葉の妙に没頭できないわけです。要するに、必死に聞いてメモを取って、後で見返して自分の意見を見出していくという心の会話、心の対話ということにはなりにくいのです。これは小生だけなのかもしれませんが、画像は画像なりの楽しさがあることは勿論なのですが、ラジオの方が自らの気持ちを、流れてくる音声に重ねられる空間を作ってくれる身近な道具ではないのかなと感じているわけです。

今、書斎には昭和30年代の電蓄が現役で動いているのですが、今でもAMラジオ波を捉えることが出来て、がっしりとした木製のフレームに取り付けられた6インチのスピーカーから暖かい音声が伝わってくるのです。所謂、アナログ、モノラルなわけですが、NHKの極めて上質のマイクロフォンで獲得される優秀なアナウンサーの語りは、初対面でも気持ちが通じ合えるというか、これこそラジオ力だなと感じるわけです。

人間力って比喩力だと思うのです。共通言語である「例え」を獲得したからこそホモサピエンスが生き延びたと想像するわけですが、その比喩力強化にはラジオはとても優れたツールだと思うのです。面と向かった会話だと、目の前の人に忖度してしまうわけですが、ラジオだとその必要は無く、自らの思考力を存分に働かせることが出来る。身近な対話空間を作り上げるラジオ文化には無くならないでねと祈るわけですが、はてさてどうなることやら?