遥かなる喫茶店

鏡を見ると疲れ切った自分が嫌になるわけですが、メモ帳に向かってあぁだのこうだのと考えるのは、書斎も良いけど喫茶店も優れた空間だと思うのです。人が蠢いているのが良いですな。BGMから魔笛・夜の女王のアリアなどが流れてくると、声の楽器性にのみ込まれ、その瞬間、どこで生きているのか、思考の渦にのみ込まれ、新しい発想が生まれてくる、そんな空間が良い喫茶店の在り方だと思うのです。

食事優先のK店ではなく、それなりの喫茶店が良いわけで、マロンパフェしか無いランプでも無く(誰も知らないって)、山手線のガードの下でも良いのです。馥郁たる香りに包まれ、静寂と音楽を獲得できる空間こそ、自分を見つめることが出来、そして自らを理解するための必須なアイテムが喫茶店なわけですよ。

しかしながらそれを身近に獲得出来るかと言えば、それは極めて困難なわけですな。そうなると、これは自分でコーヒーを淹れるという方向に行ってしまうわけですが、しかしそこにはあるべき不特定多数の人のざわめきが得られない。音楽と香りを獲得できたとしても、大切な人の息吹きが無い。これはとても大切だと思う訳です。例えば、無人の階段教室の教壇に立ってローテーションを語っても面白くもなんともない。

ざわめく息吹きがあるからこそ、自らの言葉の意味を理解できる。思考の結果に感動できる。それが喫茶店である筈だと勝手に決めつけているところが既に間違っているのかもしれませんけれど、コーヒールンバではないけれど、痺れるような香りに悶えながら、考えに考え続ける時間を提供してくれる場所を、いずれ持ってみたいものだと、これはあんまり身近なお話では無かったなと、身近にあって幸せを感じる場って探すのが大変だなって、4日目でネタ切れ感満載ですな。