見果てぬ尾根道

身近にあったら幸せな空間だなというお話を、街中のBBQ場から綴ってみようかなと思ったのですが、存外、存在しないもんだなと、生きていくのも大変だなと思う訳ですよ。ネタ切れ序に身近に無いけど好みの空間のお話でまとめて(まとまら無いな)みようと、やけっぱちの尾根歩きのお話。山登りってピークハンティングに興味が行きがちなんですけれど、まぁ、それはそれで良いんですけどね、ピークハンティングって、上に向かって進むことが目的化されてしまって、自分を見つめる遊び心は生まれない。尾根歩きにはそれがあるのですな。

南アルプス全踏破なんてのは二十歳のヤングなボーイで無いと厳しいので、人生後半戦に入った方でも楽しめる尾根歩きが良いですな。日の出と共に歩き始め、夕暮れ前に降りられるくらいのところがよろしい。延々と森の木々に憩う鳥の鳴き声(さえずりなんて生易しいものではだめだ)に背中を押され、何かから逃げ出したくなるような一瞬も無ければならず、這いつくばって喘ぐ場面も必要で、しかし、断崖絶壁での憩いも必要。即ち、尾根歩きは人生そのものの鏡というわけですな。

巨大なピークを伴わなくても良くて、海外の雑誌には草原とアルプスのロングトレイルなんてのを見かけますが、そんなもの我が国には乗鞍くらいしか無いからとても身近とは言えない。お勧めも出来ない。ジャングルみたいなところならいくつもあって、そんなところを自分で探して挑戦してみて下さいとしか言いようがない。

ちっとも身近では無くなってしまったが、共通項は「ほっとする」一瞬があるということかしら。左右が絶壁の尾根歩きだって、その先に一瞬の安らぐテラスが必ずある。そこに到達していなかったとすると、稜線から外れて魂の輪廻の道に入り込んだということだから、それは考えずに、ひたすら進むところに愉快がある。自らと向き合い思考を極限まで巡らせるには、誰にも会わない尾根歩きが一番である。それを求めて今年の夏は時間を作りたいものだなとは思うのだが、やはり身近に無さ過ぎて厳しいかなと思いつつ、ちょこっとトレーニングに励む私であります。