共生

選挙週間も終わり、まぁ、あれ程主観的なものは無いわけで、とやかく言う根拠は何処にもないので言わないことにする。未来の対価は何だと、グローバル社会において答えを持っている人は居ないからね。そこに民主主義なるものの限界があると思う。日本人がこんなにも他国を攻めていくことを望んでいるとは思わなかったけど、そんな人々がメジャーな国だったのね。ネアンデルタール人達が狩猟生活にピリオドを打った原因の仮説に人肉接種によるプリオンによって脳の破壊が起こったというのがある。共に生きるべき種族を殺戮して接種すると、現代でも解明されていない病によって自らを滅ぼすということだ。日本の明日を思うようですな。

助け合わないどころか、大量殺人を平気でやるという行為が街中で行われるようになった。街中でという文言を付けたのは、戦争という何故か正当化されてしまう行為だって大量殺人に他ならないからね。率先して海外に出掛けて大量殺人をしたい人達が我が国にはごちゃまんといらっしゃることが良く判ったわけで、ネアンデルタール人の遺伝子がかなり色濃く残った民族なのかなと、なんだかがっかりする。遺伝子レベルで他の力になるという行為を破壊したい種族だということか。

働くという行為は他の人の為に尽くす行為に他ならないが、そのサービスの質を向上させることに努めることは、見方を変えると競争ということになり、他を追い落とすということに直結している。これを否定してしまうと思考停止社会になり、共に生きる気力もなくなりそうだから、小生は正しい活動と信じることにしている。勝敗を決めることを役人が面白がっているならば、それには反旗を翻すが、そんな暇はお役人には無いはずだ。

一所懸命に頑張っていたら、突如、足元でガソリンが爆発炎上して自らの、そして共創に励む仲間の命が破壊されることが平然と行われる社会なのだと認知されたわけだが、どうやったらそんな行為が無くなるのか?努力の結果を他を追い落とす事のみに使って安住するのか、共に高みを目指して他律主義で生きるのか。ホモサピエンスそのものに曲がり角が迫っているのではと感じる中、ちょこっと自然との共生を考えてみたい。