米や麦と違って、海洋生物は、養殖という活動以外で殺戮する生命を除くと、地球と太陽という、人類以前からあったものが創り出した生命だ。それを無尽蔵に生命の輪廻を絶ち続けると、その種の絶滅ということに直結する。クジラがどうのと西洋人は叫ぶが、それって、あんたらが油欲しさに殺戮しまくった結果だろと、歴史は正しく記録していることを学べと言い返す。その為の黒船だろと、政府は声高に叫ぶべきだ。まぁ、軍門に下った日本の情けなさということもあるが、国を閉ざしたツケで科学力が圧倒的に劣った我が国では、直接戦争になったら皆殺しか奴隷化していたことだろうけど。
数年前に余市福原漁場跡という、言ってみればニシン御殿の、移築していない本物を訪れた時に、ニシンって沖に出てって乱獲しまくって、絶滅したわけでは無いということを知り、現場で学ぶことの大切さを知り、同時に無知を恥じた。それまでは乱獲のみが原因だと思い込んでいた。あれって、勝手に浜に突撃してきちゃったのですね。浜が腐っちゃうから、しょうがないから必死に集めた。集めたニシンは丁度農業を盛んにしようとしていた国策と相まって肥料に加工して、それが御殿の本質であったと。
日本に来なくなっちゃったのは、北の国の乱獲なのはそうかもしれないけれど、てっきり御殿を建てる程の乱獲をしたからだと思い込んでいた自分が情けない。クジラとニシンの激減とは異なるアプローチで考えないといけないのだなと、凄まじい学びであったわけです。養殖すれば良いではないかみたいな作る漁業の考え方もありますが、養殖って人間のご都合でしょ?それって許されるのか?という考えも持っていないのいけないのではないかしら?
ウナギの完全養殖は実現し始めているけれども、まだまだ途に就いたばかり。ワンコインで食せるようにすることが本当に良い事なのかしらと、心のどこかで考える自分が居る内が幸せなのかもしれない。鰹節のような、取れ過ぎたから保存しようという考え方は、まだ、ましなのかもしれない。無駄死にさせる人間の在り方を悩まなければ、ホモサピエンスの絶滅も近いのかもしれない。