超社会

丁度、一週間前であるが、とある山奥の養蜂場にお出かけした。これがなかなかの山奥で、養蜂場はこっちという看板に出会うまで、本当にあってんのか?とナビを疑うような道すがらであったのだが、帰りは真っ当な道路で、選んだ往路が厳しかっただけであったと、これは笑い話。太い倒木が道を遮断していた時には、ややめげましたけどね。それはどうでもよくて、養蜂のお話。

はちみつ程素敵な食べ物は無いと思う訳ですが、これは小生の勝手な感想だから放っておいて頂戴と言うしかないが、そのはちみつ製造の現場にお邪魔をさせて頂いた。日本の養蜂業の父とも言える方のご子孫が経営していらっしゃって、丁寧な説明を頂き、これまた深い学びを得たわけです。流通させることが出来るはちみつの糖度が決まっていて、西洋では78度、日本では76度と伺い、ここでも日本のいい加減さを垣間見るわけですな。なんでそんなインチキをするのだろうと情けなくなる。食料を語る時、情けなさしか感じない日本に悲しくなる。こちらの養蜂場ではヨーロッパ品質よりも最低でも1度は高く設定され事業化していらっしゃると、実際の糖度計を使わせて頂き、感動した。

数年まえに大量絶滅、コロニー破壊の報道が世界で成され、はちみつという食材が地上から消滅するのではと危惧したわけだが、これなどはせっせと集めたはちみつと花粉という、彼らにとっての食料を横取りし続けるストレスや農薬、ダニなど様々な要因があるのだそうで、それを防ぐために7月以降は基本的にははちみつを奪う活動をしていないのだとか。遠心分離機にみるみる溜まるはちみつに驚き、また、その味に感動した。命の営みにただただ感謝である。

その説明の中に「超社会」というのがあったのです。蜂は女王バチの為に働いているのではなく、女王バチも男子ハチも働きバチも、皆、全体の為に個として全力を尽くすという、勝手主義者の居ない社会であるというお話。その生態を知り尽くすところから養蜂業は成り立つのだというお話は胸を打った。他を批判し、足を引っ張り、自らを正当化する政治家諸氏、またそれを敬う国民との関係とは真逆の活動を、10万匹が暮らすコロニーに垣間見た。この農場には東京都の人口より多い蜂が暮らしていますというお話に、自然との共生の在り方、人工的ではあるが自然と共に暮らす生き方について学ばせて頂いた。謙虚になるべき。それは大地と太陽の営みを損なわない生き方であろうとは思うのだが、科学者としてどうすれば良いかと、また悩みが大きくなった私であります。