料理と調理と言う言葉があって、辞書によれば料理は食する行為に対して働きかける広い意味があるという。『調』という漢字そのものが、なんとなく、調査だとか調整だとか、ゴールが決まっていて活動する行為という気がする。気がするだけで、真実は分からない。辞書に載っていることを信じるのみだ。
料理本を片手に、自分の食べたいつまみを作るなぁんてのは、まぁ、調理なんでしょうね。闇雲に素材を組み合わせて作り上げていく。設計図通りに進めていくと、それっぽいものが出来るから面白い。大型装置を有難がって、ボタンを押して論文を書いている研究者に似ている。加えて言えば、図面の奴隷になって、製品の価値を考えることなくモノづくりをしている企業に似ている。
料理となるとそれは違うと思う。自分を除く人間の笑顔を目指して、ひたすら考え段取りを組み、食材を求め、物語を描く。それが料理であるから、食する者は幸せになる。食卓に笑顔があるならば、それは料理の結果であろう。予定調和では無い、真実の笑顔がそこにはある。
地獄の業火を潜り抜け、何かを達成した時よりも、美味しいと感じるものを作ってくれた人が居ると、そこには真の笑顔が生まれる。高価な料理である必要などどこにもない。一所懸命に尽くしてくれた、その感謝こそが料理の結論、価値だ。価値とはそういうものだ。図面の結果では無い。間違ってはいけない。