お盆休みということで、少しは骨休みになる。精神と肉体を支えているのは骨格であり、その体の大黒柱を休めるから骨休みとでも言うのかと調べてみたが、見掛け倒しの単なる休息くらいの意味しか与えてくれない。所詮、ネットの情報とはそんなものだろう。期待しているわけでは無いから、まぁ、ほったらかす。
ご先祖様との対話期間がお盆であって、諸説あるわけだが、出雲大社にしろ伊勢神宮にしろ、大きな盆に食事を盛ってお供えしているのだから、お盆という言葉の由来はなんとなく日本人ならわかるであろう。そんな高尚なことはできず、単に、溜まった仕事を一つ一つ手当をしている期間となってしまっているところがなんとなく寂しいわけだ。
折口信夫の古代研究を読み返して、『そしる』という言葉の由来がお盆と関係することにちょこっと驚いたのでここに記す。そもそも死者の世界からやってくるモノとの会話は「ささやく」ことで他人に聞かれぬようにすることが求められる。あちらの方からの宣託も同様で、一人の人にしか聞こえない。そのような発声を『そしる』と言ったそうで、元来はささやくという意味しかなかった。
それがいつの間にか自らの過ちや人の手落ちの誹謗中傷などを『ささやく』ようになったので、いつのまにか『そしる』がその意味だけになってしまったと述べている。国文学の創始者の一人の研究成果であるから真に受けて良いと考える。こんな暢気な読書が出来るのもお盆のお陰である。魂の骨休めであってこの時くらいは自分の為に時間を使っても良かろうと勝手に思う灼熱のお盆である。