あの夜

三途の川のほとりまでくると、いろいろと思い出すことがあるそうだ。毎日毎日、35℃というラインを超える気温なのだが、暑いことが想い出として蘇った。それは夜の事である。四畳の下宿に戻り、久しぶりに横になって眠ろうとした夜だ。寝ようと努力したことまで覚えている。それが暑いのだ。いや、熱いという漢字を使っても良いくらいの夜であった。

寝苦しいとか、そんなものではない。暑いのだ。兎に角、空気が重くのしかかるのだ。扇風機は熱風を送りつけてくる。干物でも作るわけでもなし、扇風機すら使えないのだ。窓を開け放っていても空気は寸分も動かない。静寂なのである。揺れるものは何もなく、全てが静止しているのだ。

ブリキの屋根の貧しい長屋で、焼けた天井からも容赦なく熱波は襲い掛かる。オーブンの中より熱いのではないかと、そう思った。冷蔵庫を開けて抱きかかえても空しいばかりである。眠れない、全く眠れない。と、言うか、ひたすらに溢れ続ける汗に、そんな気持ちはおこらない。暑いのだ。

将来がどうなるとか、クーラーを持てる身分になろうとか、そんなことは何も思わなかった。きっと思わなかったに違いない。貧乏学生とはそんなもんだ。パンの耳をかじって本を読んだ。そんな学生にはお似合いの夜であった。灼熱の毎日。でも、あの夜の方が暑かったと、今でも思っている。