終戦後、復員されていらっしゃた方々が、山里にも漸う戻って来られたころ、その人は川べりの病院に詰めていた。横須賀など、著名な港の近郷の方々ですら、陸に上がった瞬間に命を落とす時代である。港から200㎞以上離れた土地では、生き延びる術もない。
賢明な看病のお陰か、とある方は、包帯も一つ、二つと取れ、家族の方もその度に笑顔になり、その病棟から脱する日は、いつかないつかなと日増しに笑顔が増していく。それは幸せな時であった。
山奥の病院は、小生の知る限りでは川べりに建つ。それも冬は病院よりも大きな氷柱が出来るような、そんなところに建つ。小生もその病院に小学生の頃に祖母が骨折で入院したので通ったのだが、複雑に入り組んだ、そして、何故か空恐ろしい空気に満ちた病院であった。そこで聞いたお話だ。復員された方は、いよいよ、退院の日を明日に迎え、家族、親族どころか、村総出で祝福の日となった。
その夜、宿直の看護師殿が見た姿である。復員された方が、見回りの時、寝台にいらっしゃらない。看護師殿はおやっと思い、水飲み場、厠等を見回られたそうだ。どうも胸騒ぎがして安置室に行ってみると、何やら音がする。行燈を持ち扉を開けると、あの世に旅立たれた方の腑を食し「お前は見たな」と・・次の朝、復員された方は腐敗していらっしゃったという。祖母が若かりし頃の想い出にしては、語り掛ける目じりが怖かった、そんな夏のお話である。