病院というところは、人の魂と肉体が分離する確率が、どっかそこらの喫茶店に比べたら格段に高いところだ。生きている人達の集まりでは何とも感じないが、亡くなってしまった、例えば親であったとしても、何かしら異なる世界の人なのだなと感じてしまう。縄文時代の世界観は忘れてしまったので魂の輪廻を信じることは無いのだが、感じることはある。
誰でもあるとは思うのですが、デジャブ―というか、これって何処かで体験したのではと感じることってないですか?病院においてそれがしばしば起こる。起こると言ってもそうそう病院などには出掛けないから、滅多に感じることは出来ない。病院に向かっているときから、何故かそこを歩いている、無意識に病院に近づいている。更衣室で一人で着替えていると、必ず誰かがそこに居る気配を受ける。
廊下を歩いている時など、必ず誰かが隣に居る空気を感じる。波動となって現れる。病院などには行くものでは無い、そこから出た時の安堵感たるや半端ない。病院は小生には似合わない。似合わないが、この年齢になると、人間ドックなる強制収容所にも似たところに年に一度は通わねばならぬ。通うと謎の目線に出会う。
結局は自分の気持ちの持ちようであるから、何があるわけでは無い。何かあるとしたら、それは命がもたらすモノだろう。命が亡くなった肉体に、何か、異様さを感じてしまうのは、既に気持ちが通じなくなっているその状態故であろう。人同士であれば恐らく気持ちは通じるのだろう。そんなことを想いながら、今年も健康診断の追試で病院に出掛ける羽目になった。段々、あちらの世界に呼ばれている。そんな気がした。