異界は何処に?

子供の頃に周囲の者から所謂異界の話を聞かされ脅された者は、生涯、その恐怖を抱き続けるのだという。侍は5歳まで、決して異界の話を聞かさなかったそうだ。侍ほどの者であっても、いや、だからこそ、異界は恐れるべき世界であったのであろう。刀で切れないその相手は、あってはならないものであろう。

人知の及ばないことは、人の手によって発生することは無い。もしも何かわからないことが生じることがあるとすれば、それは単に理解出来ていない出来事なだけであって、異界の仕業であることは無い。だから努力によって解決される。これは人の世の在り方である。

競争を強制され、戦いを強いられ、人の気持ちが獣化していくと、それは異界の生き物になっていくということなのかもしれない。組織が大きくなればなるほど、組織的戦いを強いられる。疲れ果て、人の心が薄れていくと、もうそこには乾いた異界の者のやりとりだけが残る。

どんな状況に追い込まれても、そうはならない人も居る。この人がどのようにして構築されてきたのかそれは謎であるが、それも人が相手だから成せる業である。魔物は怖い。しかし、異界は無い。あるのは人の世の魔物である。浮世の鬼である。退治するべきは人ではない、人の心の鬼である。組織が鬼を作り人がそれを退治する。なんとも恐ろしい世の中だなと、出来損ないであっても人でありたいものだと心底思う、私であります。