5Gに想う

心配だなと感じるところに、自動運転と5G技術活用の遅れがある。まず、IoTでAIでなんて、あいうえおと九九からという学びの手法を永遠に変えない日本の有り様がそもそも心配の根源だが、産業発展の観点からすると、この2点の世界で最も遅れた姿に悲しくなる。自動車に関しては、確かに安全重視という事には異論は無いのは当たり前である。ならば、それこそ何にも使われない国際展示場内で、1/5モデル自動車で良いから、都会モデルとそこに走り回るジオラマでも作ったら如何か。人の動きはAIに任せたりしてね。5年後、10年後の社会の街の有り様を考える上でも大きな知見が得られるであろう。

実車での実証実験も大いにやるべきだが、これなどは奥三河に特区を作って、モデル実験の実証を大胆に進めて頂きたい。超高齢化社会を支えるのは、ベテランの知恵が現場に反映される社会的通念である。高齢者の方々が、行きたい時に行きたいところに行けないと意味はない。それを実現するには無人・自動運転によるモビリティの実現は必須である。それを踏まえてどんどん進めるべきである。

5Gに関してはスマート工場の実現は当たり前の選択肢であり、生活における行政サービス、事務における紙面の消滅等々、様々な価値があるはずなのに、あれはダメ、これはダメという既得権益と高齢者の威張りが我が国を世界最貧国に貶めている。日本はまだまだ成熟社会では無いのだなと感じるのだ。誰かがやってくれるから、自らがやってみようということを誰かがサポートしてくれる社会にならないものか。

そこからなのだと思う。誰かが数字をゼロから始めようと言い出すのは。ゼロからで良いではないか。誰かがやっているから寄り添うのではない。何が起こるか分からないから共に挑戦しようという世界で良いではないか。道具も機会もそこそこある日本だ。腐らず、コツコツ頑張るとなんとかなるような気がする。絶望はまだまだ遥か彼方のことだと思う。