平成は失われた30年だなんてマスコミが書き立てるが、小生が就職したのは平成2年であるから、余計な事を言わないで頂戴と蹴飛ばしたくなる。余計なお世話である。懸命に頑張ってきた意識はあっても、失ったものは若さくらいなもんであって、マネーゲームでモノが身の回りに並んだなんてことは無くて結構だ。まぁ、バブルで億万長者に成られた方々には負け惜しみにしか聞こえないんでしょうけどね。
小生がアークライトの水力紡績機を知ったのは平成9年頃だったと思う。産業革命前の時代、水車を動力として巨大な織物産業を作り上げた稀代の発明家の業績に感動したことを、今もはっきりと覚えている。化石燃料を用いることなく、家のような大型の機械が整然と糸を織り上げていく様は、奇跡と感じた。これで良いのだと、それ以来、脱化石燃料をベクトルに活動をしてきたが、それこそ失うべきは化石燃料だという30年であったのかもしれない。
オイルショックを経ても自動車がどんどんと作られ、光化学スモッグで空が覆われても自動車は街に溢れ、プリウスだなんだと言ったって、移動には化石燃料がしっかりと使われる。電気自動車だって、発電に石炭が使われる以上、CO2排出量が減じられるわけではない。電気は運べば運ぶ程無駄になるからね。移動に掛かるエネルギー効率から考えたら、ガソリンを直接背負って走る内燃機関型自動車に及ぶものでは無い。エントロピー変化を考えれば当然の事であって、欧州で水素による移動を日本よりも真剣に考えているのはそんなところにある。
尤も、欧州では電気の問題はフランスの原発におっかぶせて、脱原発なんてうそぶいているだけで、活動エネルギーを天から降ってくる雨の位置エネルギーから獲得しようなんて暢気な輩は居ないわけだ。その昔、おふくろの実家近くには水車もあったし炭焼き窯もあった。みんな汗水たらして働いていた。失ったものは自然環境であろう。それは加速的に無くなっていく。地球温暖化よりもそっちを見つめ直すべきでは無いか?地球を長持ちさせるのはイノベーターではない。自然環境だ。そう思う。