遥かなるMaaS

駅まで行ったけど、その先に移動手段が無い。空港まで辿り着いたけど、ホテルまで行けない。ちょこっと調べてみると、日本における路線バスの輸送人員は1968年がピークだったそうだ。確かに、駅前のバス停に、長いバスの列があった。床は板で、ワックスでべたべた、押し合いへし合いの移動手段ではあったが、最終目的地まで歩いて5分くらいのところまでは連れて行ってくれた。現在はその4割程度の輸送量だそうだ。

街中の輸送手段と言うよりも、夜行バスに代表されるように、時間は掛かるけど、その分、安いという足になっている。尤も、鶴舞大学から東山大学までの移動には、便利なので頻繁に利用している。当たり前なのだが、時刻が合えばという条件付きなので、会議の前には使うけど、終わった時刻にバスが来てくれるという事は無いので、地下鉄を乗り換えながら戻ることが殆どだ。

Mobility as a Serviceの略で、フィンランドのMaaS Global 社のCEOであるSampo Hietanen が提唱した概念のMaaSであるが、基本的には国民の移動手段をどのように獲得するかと言う政府の意識で、2012年から助成をスタートアップ企業に出したところから進んだ取り組みなんだそうですな。日本はなんだか自動運転車がハンバーグを売りに来るみたいな不可思議な方向に流れているけれど、人が移動することによって生まれる価値を最大化させようというフィンランド政府の高尚さには足元にも及ばない。

あおり運転の恐怖が毎日ニュースになるわけだが、街中の移動が自家用車ではなく、サービスとしてネットワーク化されたシステムが担ってくれれば、そもそも存在し得なくなってくるのでは無いかしら。自動車販売店が町中に溢れるのは、情けないことだと気が付くべきでは無いか。そりゃぁ、自家用車は便利である。それを捨てるのには勇気が必要だ。必要なのだけれど、それが要らないよと納得できるサービス網が創られる国家にならないものだろうか。ポスト自動車の行きつく先は、国と国民の智慧の獲得に掛かっているなと、自分もそんな人間にならなきゃなぁと、苦笑いする私であります。