歴史の里

時々、お話をさせて頂く人類の歴史という壮大な戯言なのだが、密かに気になった場所にお出かけしてきた。何処かに行くと宣言すると台風がやってくるので、黙ってひっそりとお出掛けしたという具合だ。平成25年度に名古屋市教育委員会から計画発表された資料を拝見した時には「ほんまかいな?」という状況だったのですが、その後、時々、新聞等でその進捗が報道されたのを横目で見つつ、なかなか時間が取れずにほったらかしておいた学習ルートである。何のことは無い、志段味地区の歴史の里計画である。

ヤマト朝廷時代に交流があった土地であり、直ぐそこまで海が来ていた時代のお話であり、現在の土地環境から考えると、熱田からそんな奥地に古墳があるわけないだろうと感じてしまうかもしれないが、1300年前(つい最近である)には志段味は海の際であり、それ以前には更に海は多治見付近まで広がっていたわけだ。山から流れてきた土砂が分級され、志段味や瀬戸、猿投にはそれらの微細な砂と山からの栄養が蓄積し、瀬戸物の粘土が形成されたわけだ。

それらが寒冷化に伴って大地化し、採取できるようになったのが西暦年代前後頃であって、人が住み着き古墳時代を迎えたということだ。その当時から志段味辺りで作られた焼き物が関西は勿論の事、関東でも発掘されている程だから、かなり良い焼き物が産出されていたということは間違いなくて、焼き物の総称が「瀬戸物」と呼ばれても小生は当然であると思っているのだ。その整備された歴史の里を、漸く見学させて頂いてきたということだ。

古墳時代にロマンを感じているということではない。電気の無い時代に生活していた環境を体感することで、これからの人の暮らしの創造に役立てようということだ。日本には日本の文化があり、それがどのように生まれてきたか、精神的暮らしの有り様の根源がそこに見える形であるならば、見せて頂こうということだ。古墳の分布を見てみると、当時の海岸線が良く判る。鶴舞大学の地も描かれている。歴史と文化を大切にし、工学で社会に新しさを提案し続けねばと思った次第である。