戒壇巡り

信州善光寺と言えば戒壇巡りと直ぐに思い浮かぶ。真の暗闇は無差別平等の世界であるそうで、確かに、光無き世界は真の平等と言って良いなと感じる。初めて体験した時には、首は竦み体中を硬直させてそろりそろりと進む状況でありましたな。見えないことの恐怖と、ある意味、妙な安心感が湧いてきます。誰にも見えない世界。居るのだけれども居ない感覚。

夢想疎石さんが昼間に明るく輝く星を見て、無いと思う心があるから、あるものが見えないと悟られたように、真っ暗闇ではあるが、壁はあり、錠前もある。錠前などはそれが錠前であると聞かされているからそう思っているだけで、実は違うのかもしれない。真っ暗闇を歩くことで得られるものがあるというのは、少し面白くもある。

東海地区にも戒壇巡りをさせて頂ける善光寺があるのだが、善光寺と名の付くお寺さんは、なんと全国に119もあるそうな。人々の信仰心は強いものだなと改めて感じるのです。お寺が尊いのではなく、そこに寄り添う人々の心が尊いということなのでしょう。

信州善光寺とうり二つの構造体は信玄公が模した甲府善光寺だけとは言われていますが、それも行ってみないとわからない。東海地域にも3つの模された善光寺があるわけで、それらに出掛けて戒壇巡りをやってみたいと、心を暗闇にさらけ出してみたい気持ちになっている。時にはそんな気持ちになるのも悪くは無かろう。そんなところです。