NHKによれば、言葉の使い方が徐々にではあるが、本来の意味と異なる使い方が多く使われているとのこと。金田一先生は社会の変化に言葉の使われ方が変わってくることは不思議では無いと、流石のコメントをなさっている。ただ、意味を取り違えて会話をすることの問題は大きかろう。勘違いでは済まない結果もあるかもしれない。閣僚の失言もこんなところからくるのかもしれない。
某高校でプレゼンをさせて頂いたのだが、既に御巣鷹山へのジャンボジェット機墜落などは「全く知られていない」ことに驚く。これなどは言葉ではなく事実の伝承が成されていない事例であるが、既に伝達する必要が無いという事なのだろうか。背筋が凍る思いがする。こうやって背筋が凍るなどと書くと、だんだん不安になってきて辞書を引いてみるが、正しかったことにほっとする。情けない話だ。
ものづくりで日本に貢献と言うのが中京圏の強みでは無かったか?つくることと、そのつくられた物のユーザーと創造者の間にあるのが快適と不快であるとすると、不快の方に墜落事故などは入るだろう。それは二度と発生させてはならないことであって、ものづくり屋とすれば心に刻み付けねばならぬ事故だと思っている。しかしそれはどうも伝わっていないらしい。
1985年の出来事で、今から34年も前の出来事と、改めて驚く。つい、昨日の出来事の様に記憶している。その頃、生まれていない先生がいらっしゃってもおかしくない。水素禍が引き起こすジュラルミンの破壊。材料に原子核をぶつけて欠陥を作るのを生業としていた小生としては、材料に入れられた加工歪が大勢の人を殺すという、それ以来、頭から離れない事故であった。しかし若者は全く知らない。これはいかんだろう。そう思う。