有用かつ斬新であれ

有用な斬新さという点において、芭蕉が完成させた俳句などは、間違いなくイノベーションであり、今に伝わる文学として発展している。学問の域に到達し、人の心に光明を射すイノベーション。そんな優れた活動に関わってみたいとは思うが、何にもやってこなかった人生だなと、これまた苦笑いである。

連歌、和歌という伝統から、引き算しきって生まれる思想表現は見事と言うしかなく、何でも足していって崩壊した日本型ものづくり界は、見直す必要があるだろうと思う。これはダメという理由が、過去に決めた規格をクリアしないからという足かせを安心材料にして、挑戦を認めてこなかった反動が出ているのが今の在り方であろう。

本当はこれがやりたいのにそれが出来ないとか、これに到達したいのにそこに行けない時、単なる努力不足で無いならば、そこには何か壁があるのだろう。あちらとこちらの境界が認識出来ているのならば、それをどうやって異なる色の壁に換えていくのかを組織で考えれば良い。一人のアイデアなど、所詮、小さいものでしかない。他に使えるアイデアがあるのであれば頂けば宜しい。ただ、自らの環境の色に近くしないと、静粛な場に宝塚の大階段での孔雀の衣装を着て出てくる愚を犯す。

こちら側の業務改善に繋がっても、それが顧客の笑顔に繋がらなければ何の意味もない。顧客の損失を生んでいた意識的努力を、IT技術によって完全に無意識価値に転換することにお金が掛かるならば掛ければ良いだけのこと。資金が無ければ稼げばよい。稼ぐ手段が無ければ創ればよい。その場しのぎにならないようにしなければならない。挑戦する場があるならばそれを活用すればよい。社会を歩かせて頂いて、足かせを喜んで履いていらっしゃる方の何と多い事か。自らの愚が他に圧倒的な影響を及ぼしていることを、へらへら笑える者も居る。残念である。