もう令和元年は2週間も残っていない。あっという間にお正月が来て、そして新年会があったと思うと、次年度になる。恐ろしい勢いなのだが、この季節になると「その昔」は店頭にぶら下がっていた新巻鮭を思い出す。子孫を残すためだけに生まれた川を遡上し、そして命の伝承の後、体を横たえ死んでいくのだ。ヒグマなんかがやってきて、遡上の途中でお腹だけ食べられて死んでいくものも沢山居る。なんだか、他人事では無いのだ。
生き物だから何が極端に変わるわけでは無かろう。人間にとって隣近所との付き合いだけを考えていれば良かった時代から、地球規模での関係性を考えないと生きていけない時代に変化したことは、川に多くのダムを人間に勝手に作られて、命の伝承が困難になってしまった鮭となんとなく被る。人間は勝手に自分達で行ったことが、自分達に跳ね返ってきているだけだから自業自得だが、鮭などは他の生命体によって進路を阻害されているし、食されてもしまうという、悲惨な状況に置かれているのだ。
無事、命の伝承を成し遂げた後、腐敗してその場に生息するプランクトンを増やす。それが生まれてくる子供達の栄養になるのだ。死んでまでも子孫に繋いでいく。何と見事なバトンであろうか。人間社会の営みは、昨日を真っ向否定する程に進化が早い。じっと見つめていると、進化しているのは応用事例であって、根幹にある物理現象などがひっくり返っていることは容易には見つからない。突然、原子核はありませんでしたとか、電子は無かったのですとか言われたことは無い。要は研究者はそのレベルできちんとお仕事をしないと無用になりますよということだ。
塩辛い新巻鮭は、保存食としてスタートしたものだが、今では養殖技術を輸出したチリから一年中鮭がやってきて、保存する必要が日本においては無くなってしまい、伝統芸とも言える新巻鮭の生産量は減少する一途である。なんだか、日本酒にしろ新巻鮭にしろ、日本固有の技術がどんどんと失われていくような気がしている。自らの価値を見失うと、AI、ロボットに取って代わられる。それを加速するのも大学の仕事でもある。その加速感に飲み込まれないように走り続けねばならない。ほっとする瞬間も欲しいが、そうも言ってはいられない。恐ろしい世の中である。その真っただ中に居る。そう思う。