道州制を考える

某お役所の方とお話をさせて頂いたのだが、地方の概念を変えていかないといけませんねという話題になった。地方色と言った時に、道州制のレベル感と、村レベルのどちらかですねと。一県単位は中途半端、そこに特色を求めるのであれば、村レベルの狭い範囲で尖がるべきだし、州ということであれば県のレベルで尖ったものを複合化させて提案がなされるべきであると。そうなると各大学の色も『必要』なものになる。

愛知県と言ったって、名古屋港の工業製品輸出量が日本一ですねとなるわけですけど、自動車だけに限ってみても、愛知県下だけ部品等々、全てのものが賄えているわけでは無い。むしろ、そうではなくて、尖った技術の集合体であったほうが、競争力は高くなるだろう。世界的に見て尖った技術力の集合体しか売り物にならないわけだから、過去の因習というものに囚われたものは不要である。

直ぐに冷たいだの何だのと言われるのだけれども、価値から考えて、それを実現出来ないものを作っているのであれば、それは原料の無駄遣いに過ぎないし、共倒れは最も回避するべきである。ちょっと古いけど安くしておくよという営業トークは成立しない。

一人で考えていても、その思考の範囲は極めて狭い。だからこそのコンソーシアムであり、社会における喜びを創造する枠組みである。その枠組みは地域で尖がった方々の集合体であれば素晴らしい。疲れたなどと言ってはいられない。厳しい現実である。