オーストラリアのとある地域では、リアルなソーラーカーが街乗りの道具として動き始めている。晴天の日であっても、走行速度によっては搭載している電池容量不足で動けなくなるかもしれないという代物だ。AIと街の随所にある天気観測システムとIoTがリンクし、ソーラーカーに何処を走行するべきかを指示する。近い将来は自動運転化されるであろう。街からは排気ガスを出さない仕掛けが生まれる。水素燃料を作り出すエネルギーも不要である。
何処まで行っても電池を作るエネルギーやソーラーパネルを作るエネルギーは無くならない。Si太陽電池だけに考えてみても、大地を掘削し、珪石を取り出し、それを輸送し、化学的に分解・還元し、それを1420度で溶かして固めて切って磨いて、回路を作って形状化して、ユニットにして駆動回路とくっつけて、モーターと接続して・・・どれだけのエネルギーだ。エネルギー収支を思ったら作らない方が良い。しかし、走行時に炭酸ガスを出さないという事に限っては完璧だ。
高齢者が遠くの不燃ごみ置き場にゴミ出しをするのが億劫というのであれば、自動運転ゴミ収集車が門前まで行けば良い。ゴミ回収ロボットでも良い。しかし、今の町はガソリンを燃やして、我先と走りたい輩がそこのけそこのけと走る為に道路網が出来ている。人間の命より、自動車販売企業が儲かれば良いのだ。政府は、自動車と言う大量に販売できる高価な物品で、外貨を獲得出来ればそれで良いのだ。
暮らし方を転換しようと言っても、100年生きた人がどうやったら思考を転換できるのか?強力な為政者が命を掛けて説得するのだろう。そして街を変えるのだろう。そんな新たな原点が生まれる瞬間には立ち会えるとは思わないが、共生を捨てた日本においてそんな日が来ることを願っている。それだけのことだ。