時代

大人の特性は労働と生産であり、子供は逆に、遊びと浪費である。これらは分断される必要は無く、適度に混じり合っているべきだと考えている。働いているばかりでは疲れ果てる。浪費も時にはしてみたい。と、思っているのだが、近年、密室志向の若者の増加に伴って、遊びと浪費が見受けられず、それが大人の労働と生産をも蝕んでいるのではと感じる次第。

ゲーム機に向かってバーチャルの世界で伸び伸びと振る舞っていることを否定するものでは無い。その時代においてそれが娯楽であるならば、それはそれで良いと思っている。そんな世界でのビジネスが発生して、バーチャルな経済圏が生まれるのであれば、恐らくではあるが、究極の「やりたい事」を実現出来る世界に、ものづくりの世界は太刀打ちできないだろう。

LSIや電脳の入り口である端末を作る必要があるではないかと言うかもしれないが、明確な欲求を満たす道具が作られるのは、それは誰かが必ずやり遂げる。食料はと言えば、恐らくだが、今の、小さい単位の生産というものは電子化・機械化された大規模生産に向かうことで、最小限の農薬や肥料で最大限の生産を成し遂げる仕組みが生まれるだろう。リアルな世界よりも容易である。何故ならば邪魔をするリアルが存在しないからだ。

邪魔とは規制であり、既得権益を死守する人々の群れなのだが、リアルな貨幣が価値を持たなくなった時、現在ある支配特権は全て消える。そんな時を迎えないと、何をやっても規制が縛り、ずっこける政治が続くのかもしれない。人間が介入するから上手くいかないことは沢山あるだろう。不確定性原理すら取り込んだものづくりの仕組みが出来上がった時、自分は墓の中で良かったと思うのかもしれない。そんな気がする。