鎖国

どうしようもない事がある。どうにもならない事を持っていないのであれば、それは恐らく、心の底から、一人きりで生きている方であって、小生は憧れ、そして尊敬する。一方で、小生はそうはなりたくない。孤立無援であっても、その最中において、誰かの為にありたいと願ってしまう。それを完全に失うことはなかなか出来そうにない。

 米国債券市場においてダウ工業株30種平均が約3年ぶりに2万ドルを割り込んだ。我が国の日経平均においても1万7千円台まで来た。つい先日、2万円を超えていたのだ。その昔のバブルと呼ばれる状況を現役で見ていた世界に似ている。社会が静かである。ただ、その時と異なるのは、誰もが言っていることではあるが、鎖国であるということである。金銭で解決できない面白さがある。
 
 面白いなどと言ってしまうと、罵詈雑言が来るだろうが、そんなもの放っておけば宜しい。相場だけが価値だと思い込んでいる人類ヒエラルキーは崩壊すれば宜しい。価値を生み出す人間が尊くなければならない。社会で「為替」だけを持っている人種が黄色い声で迎えられることに呆れるし、未だにそうなのだなと、マスコミの宣伝に呆れるところだ。国力は一部の大金持ちが指標なのか?まぁ、そんなものかもしれない。
 
一人が沈黙したとて状瀬は変わらない。コロナウイルス恐怖症候群に襲われている。その中で、誰かの為に生きたいと願えるのか。そう願える瞬間はどこにあるのか?一言有難うと言える人は、何処かにいらっしゃいますか?それはとても幸せなことだ。そう思う。