学ぶ機会

5Gの産業活用が漸く始まってきた。電波の受発信施設を工場所内に設置し、ワイヤの束が走り回っていた工場がすっきりし、デジタルトランスフォーメーションが勝手に達成されるというおまけがついてくる。必然の流れが情報の高密度化によって後押しされている形だ。スマホの5G化よりも本質的だと思う。紙のやり取りを無くしていく方向は美しい。

紙が大好きという方が未だに多い。お役所などはその最たるものであって、印鑑というこれまた不可思議な物体が神格化され、責任の押し付け合いをするわけだ。組織としての信頼感の表れでもあるのだが、これがいつまで続くのだろうか?

東京では日に日に感染者が増えていく。この流れもデジタルトランスフォーメーションを加速する。大学の講義も大略、その方向に向かって行っている。学生のサボタージュを奨励しているわけではない。きちんと必要な情報を伝達する技術と、理解しようとする熱意のキャッチボールによって成り立つ、これも組織としての信頼感である。

習うより慣れよなのだ。慣れれば良いのだ。ただ、慣れるためには面白くないと、慣れるところまで続かない。面白く無くても続けていくことが大切である。表に出歩くと批判される毎日である。コツコツと学びなおすのも悪くない。何歳になっても手習いが必要である。こつこつ学びたい。そう思う。